hishaismの打ち込み日記

ド素人がピアノを打ち込んで、「わ~できた~!」とはしゃいでいる日記

F. Chopin - Nocturne in E-flat major, Op. 9-2 (with authentic variants)

 ショパン夜想曲第2番(異稿版)を打ち込みました。わたしが解説するまでもない有名作品ですが、こちらはより高度な装飾を伴う異稿版です。

異稿版とは

 ここで言う異稿版とは、大ざっぱに言えば、「ショパンはこの曲をこのようにアレンジして弾いていたのではないか?」と思われる変化(ヴァリアント)を反映したバージョンのことです。具体的には、ショパンが弟子のレッスンの際に楽譜に書き込んだものや、弟子が「ショパンはこう変化をつけた」として残した異稿などに基づいています。これらのヴァリアントの存在は、繰り返しにおいても作品を決して冗長にさせない、即興演奏の名手としてのショパン像をいっそう感じさせるものだと思います。

表現について

 表現については、感情と秩序の両立を試みたつもりです。存分に歌わなければならない一方で、端正に演奏することが求められること、それがショパンのこうした作品の難しさだとわたしは考えます(こうした作品は、感情に傾倒するあまりベタベタしてしまいがちだと個人的には感じます)。そしてこの難題に挑みたかったのです。いわば感情と理性のあいだ。感情表現のためにどこまでテンポの変化をつけるのか。どこまでが「感情」で、どこからが「無秩序」なのか。それは時代によっても違うのでしょうし、難しいことだと感じます。

 具体的には、「左手は指揮者のように正確にリズムをきざみ、その上を右手が自由に歌う」というショパン流のルバートが理想でした(体現出来たとは思いませんが)。ですから、終盤に現れるpoco rubatoという指示は、「正確に刻んできた左手をあえて崩す」くらいの意味に読み取りました。

 全体的にはおおむねインテンポで、ヘアピンや逆向きのアクセント(<)をルバートの記譜とみる専門書の記述などをほとんど無視してしまっています。

 ほかにも書きたいことはありますが、理論のことはさっぱり分からず、語彙力が足りないのでやめます。そもそも冒頭からして、シーソーがまたシーソーときて、ターンのドレドシドドー↑に至るところがソプラノでアアァァアー(^o^)って感じでもうほんとうに切ないのですよね(語彙力)

ヴァリアントについて

 ヴァリアントの内容は、トリルをひげ付プラルトリラー(正式名称知りません^^;)にする程度のわずかな変化から、大胆で長大なフィオリトゥーラ(花が開くこと、歌唱的な装飾)までありますが、いずれも本来のバージョンよりも技術的に難しいものです。とりわけ一気に下降する3度の半音階的重音が印象的です。

個人的な話

 この異稿との出会いは、わたしにとって大きな意味がありました。それは、楽譜の音は絶対だと思ってきた、わたしのちっぽけなクラシック音楽像を一気に覆すものでした。その先に、まるでジャズにも通じるような、ダイナミックな音楽の姿が見えてきました。もしかしたら、クラシック音楽の「伝統」と向き合えば向き合うほど、それは唯一無二の「真正性」に収斂するのではなく、より自由な音楽へと向かうのではないか、と思ったのです。もっとも、それからバロック期の音楽に触れることで、わたしはいっそう驚くことになるのですが……。

 『弟子から見たショパン』という書籍で異稿と出会ってすでに10年以上、2度目の製作でようやく自分の理想の塑像を示すことができたと思います。それは、PianoteqがPleyelを再現してくれたのも大きな一因です。その完成度がどうであれ、ひとつ課題を終えることができた、という思いです。

 参照したのは入手が容易だったウィーン原典版なのですが、ナショナル・エディションだともっと多くのヴァリアントがあるのでしょうか。?気になります。